『テスト氏との一夜』 

義母の周りには毎日奇怪なことが起こるようだ。

泥棒がリンゴを食べた。そしてそのナイフがなくなっている。

食事から帰ったらベッド周りがぐちゃぐちゃに荒らされている。

ベッドの下にお金があるか誰かが探った様子がある。

などなど・・・

それで私は1冊の本を思い出した。

かつてポール・ヴァレリー(1871-1945)の『テスト氏との一夜』を読んだ。

読書記録を見ると2005年12月。

当時10年後の今を予測はできなかった。人生とはそういうもんだなあ。

この本は精神がヴァレリーでテスト氏は特定の意見も主張もない人物。

私はテスト氏は肉体とも思えるが肉体を動かす知性であるのだろう。

テスト氏は社会や人間の可逆性をよく知る

40才ぐらいの人物で株をやっていると設定されている。

なぜ株か?

株やお金の価値は目には見えない。

目に見えるのは会社や学校という建物であり、肉体である。

株という見えないものをヴァレリーの精神によって知性のテスト氏が動かす。

ヴァレリーは「精神の法則を発見した」と言っている。

今回なぜこの本をというと、義母が自分の関知しない出来事に翻弄されているから。

義母は「自分は絶対そういうことをしない」と強固な確信のもと泥棒の存在を訴えてくる。

自分とは一体何なのか?

自分の知らない自分がリンゴを食べている?

自分がしたと思えないのはなぜだろう。

記憶や認知という精神の道筋が途切れたら

自分が食べようとしたこともリンゴを食べたことも忘れるのだ。

認知症になっても高齢者は一気に100%の記憶がなくなるのではない。

徐々に進行するから厄介だ。

出来事を忘れた自分とは違うもう一人の自分は「絶対」という言葉を使って

自分がしたのではないと強く主張する。

結局自分の知らない自分(泥棒)に恐怖と不安を抱き毎日過ごすことになる。

「いつまでもお元気で」というのは精神と肉体が連動してこそ。

精神と肉体が連動できないのなら悲しいことだ。

義母は「私は絶対きっちり整理する。私は絶対そんなことするはずがない」という。

「毎日食事で留守にする間に部屋に泥棒が入るね」と同調すべきなのか。

「私はそんなにぼけてない!」という強い訴えにいつも困ってしまうこちらの返事。

19世紀末のポール・ヴァレリーの時代には認知症はまだ発見できていなかった。

人間の知らない精神の法則。崩れる法則もあるのだ。

まだまだ人間は自分たち人間のことを知らない。

思いがけないことをしたり、言ったり・・・・

あー他人ごとではない。



















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マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

sevva(shou )

久しぶりに文学を少し。
といっても香港の生活の中でふと思ったこと・・・

『失われた時を求めて』はあまりに長編で読みきれなかった作品
でもとっても有名な一節があります。

   マドレーヌを紅茶に浸して口にした瞬間に、それは全く思いもかけず過去の
   ある記憶がよみがえってくるという話


今かいだ匂いや香りが、私たちの深遠のところにしまってあった
同じような匂いによって過去の記憶が現代によみがえってくるという、
時間と記憶に関しての独自の時間解釈は劇的でした

                     

ところで私は、洗濯物を干している部屋でそんな経験をしてます。

香港は日本では考えられないほど高層アパート。
40階ぐらいから高いところでは80階というアパートも・・・

洗濯物は外には干せないので洗濯干し用の部屋で、除湿機をぶんぶん回して乾かします。

いつもその部屋のドアを開けると、なぜかアジアの匂いが・・・

ソウルにいたときの記憶やアジアのほかの国々の暮らしがふとよみがえります

ちょっぴり湿気のあるその空気と、日本とは違うアジアの洗剤のにおい・・・

嗅覚を意識的に思い出すことは不可能だけど、
嗅覚によって記憶が思い出されるなんて
やっぱり不思議、不思議

それにしても早くからっと乾く季節がきてほしいよ。
湿度高すぎ

再開とバンコクとカミュ『異邦人』

            I'm back in action !!! 

 
United Nations2

ここは香港
って言いたいところですが香港の前にタイから・・・・
娘の住むバンコクで1ヶ月暮らすことになったのです。
そして帰国後すぐに香港に引越しです
天下一品の脳天気さと体力自慢の私でなかったら、
この忙しさに今ごろどうなってたかな・・・なんて思います。


                             

                   
それにしてもこの暑さ。 
今日は久しぶりのメロンボールにカミュ『異邦人』を盛りつけます。

とっても有名な冒頭です
「きょう、ママンが死んだ」

太陽の白い日差し、けだるい暑さ、乾いた空気、蒼い空そして沈黙,・・・
それゆえ主人公ムルソーの人間の不条理に対する怒りが浮かび上がってきます。
人間とは何かを問い続けるムルソーは小説から抜け出してまるで生きているようです。


「・・・私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。
私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、
別なことはした・・・何ものも何ものも重要ではなかった。
・・・私に差し出されるすべてのものを、等しなみにするのだ。」(新潮文庫、p128)

                                                   


ママンが死んで表面的に反社会的な行動にでたムルソー。
人間の不条理、社会の不条理。
とにかく人間や社会はあいまいで、二面性があって・・・

人間の人生や社会が偏屈な慣習や常識などで
縛られるのは真っ平ごめんって言いながら
気が付くと全ての人が縛られている

人生のむなしさや悲しさを感じながら人間はそうするしかないんですね。
人生とは、それぞれが差し出された問題や障害を、あーでもない、こーでもないと
社会や人間の不条理を乗り越えて生きていくしか方法はないんです 

                            
                     
人生を考えた後なのに脳天気な私はついつい楽しいことを探してしまいます。
ひょんなことからバンコクに来て何か一つでも体得してかえらなくっちゃ・・・なんて 
せっせ、せっせ・・・タイ舞踊なんてどうかしらん
ひょっとしてムエタイの方が似合う?

とにかく私はこれからしばらく異邦人

今回は詐欺に合わないぞ~
 

歌とモーパッサン『メヌエット』

大インコおじさん

           「頭蓋骨はホールなんです。
           ホールに声を響かせてください!」

      先日歌を教えてもらった。
      頭蓋骨がホールねえ~    
      まだまだ知らないことがいっぱい

                          

今日はモーパッサンの短編『メヌエット』をメロンボールに盛りつけます。

      「偶然ぶつかった出来事や、一寸垣間見た事件」が
      心の中に忘れ得ぬ想いとなって住みつく。
      この短編は、その束の間の印象の話。

      リュクサンブール公園でふと出会った老夫婦
      彼らは一世を風靡した大舞踏家。
      彼らにとってのかつての栄光のこの公園で
      亡霊のようにメヌエットを踊る、その姿は
      機械が少し壊れた活動人形のよう
      笑いたくもあり、泣きたくもある。

      公園が壊された後は
      「希望を失った亡命者のように近代風の街路を放浪していることでしょうか」
                             (『モーパッサン選集1』、河出書房、1941)

                          

想像してみると悲しい風景ですね
立ち止まることを許されない資本主義の世の中では
年老いた人間は取り残され思い出の中でしか生きられなくなる・・・?

でもこれは人間すべての行く末・・・
上の写真は、蘇州で出会ったおじいさん。
何を思い出しているんでしょうか
せめて思い出の中に幸せの瞬間を持つことが
できるようにしなくてはね。

エアロビをやってる私は思い出の中で踊るんでしょうかねえ~


それにしても偶然ぶつかった出来事や言葉、一寸垣間見た風景が
人生を変えることは大いにありますね
100回聞いても身につかないこともあれば
1回で心に響く言葉もあり・・・


「頭蓋骨に声を響かせて~」
この言葉もきっと一生忘れないだろうな~
自分の体が楽器だと思う瞬間でした。

         でも難しいな~
         頭蓋骨にねえ~
         声をだよ
         どうやって

おしゃべりとゾラ『居酒屋』

香水瓶  

夏の忙しさが少し落ち着いてきたので、久しぶりにお友達と
おしゃべりする時間が増えました。しかも連日しゃべるしゃべる。
とうとうなんだか疲れがでてしまいました(どんだけ喋るの~)

私はフランス人かも・・・
『十八世紀パリ生活誌』(岩波文庫)にこういう箇所があります。

     「ぺらぺらとよく舌がまわることにかけては、フランス人に匹敵する国民はいない。
       ・・・一般的に言えば、パリっ子はいくら長いあいだ話しても、何も言っていないのだ」

そうかもしれない。やっぱり私はフランス人

                        
今日はゾラ『居酒屋』をメロンボールに盛りつけます。

ゾラは「ナポレオンが剣でやったことを、おれはペンでやるのだ」と言っています。
時代と環境と遺伝・・これはゾラのキーワード

さまざまな環境の中で人間はどのように
生きていくのか一つの家系を描き、社会の真相を暴こうとします。

労働者の下層の人々を描き、主人公の母の転落を見つめるナナ。
この三年あとにゾラは『ナナ』(1880)を書きます。

小説の最初から、あふれるほどの勢いでパリの下層の労働者の姿が描かれます。
主人公ジェルヴェーズの洗濯場でのけんかも圧倒されます。

貧困から抜け出せない人々の姿は、本から抜け出し、まるで映像のように
目の前に展開されるような迫力です
人間はここまでどん底になっても、強く生きれるもんなんだ・・・
  
                          


『十八世紀パリ生活誌』ではまだおしゃべりについて続きます。
    
      部屋の中でもうさんざん話をしていても、それだけではまだ足りない。
      戸口で、踊り場で、それから階段を降りるあいだもずっと、話をむし返す
      のが習慣になっている・・・

そこまで私は元気じゃないけど、時々ちょっと酸欠でした。
反省
おとなしくするぞ~
     
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