『老人』 ライナー・マリア・リルケ

詩人の手にかかると人間の姿も心も唖然とするほど鮮明に表現される。

リルケの名前に聞き覚えがある。

読書録を見返すと2006年の春に『マルテの手記』を読んでいる。

すっかり忘れていた。。

このかなり短い短編『老人』は

ちりばめられた言葉のどの1片をとっても無駄がない。

言葉がリアルな人物の細胞として存在し、その現実が適格な言葉で描かれる。

訳は森鴎外。

リルケは彫刻家のロダンから大きな影響を受けている。

ロダンの彫刻もそこにまるで苦悩した人間がいるようだ。

そして詩人リルケは言葉で人間を表現している。 

登場人物は三人の老人と一人の孫娘そして草花。

昔の出来事のいろんなことを忘れてしまった三人。

彼らの日常には時間も日も曜日ももう何も関係ない。

三人は毎日、市の公園の日のさすところにあるベンチに腰を掛ける。

二人の老人は同じ貧院からそして一人は孫娘がいる家族と住んでいる。

老人たちは話をするでもなくただいつものように手鼻をかんだり

あるいはがつがつと痰を吐いたりする。

そして時たま汁の垂れる目を芝生の緑にやったりする。

近所の時計が12時を打つ。

三人は時計が打つ数をもう数えたりしない。

数が数えきれないほどなればお昼だと知っている。

一人の老人の孫娘がまるで光のように「おじいさんお昼」と呼びにくる。

孫娘の手からこぼれ落ちた草花。

残った老人の一人がゴッシクの形に折れ曲がった指で

草花を恐る恐る拾って貧院に持ち帰るのだ。

馬鹿らしく見ていたもう一人の老人が貧院に帰ると

偶然のようにコップに水を入れ窓辺に置く。

草花はそのコップの中にひっそりとおかれるのだ。

ただそれだけの短編


老人の世界は何もなくなっている。

ただ人間として最後に残った尊厳。

誰かを何かを必要とする意識。

自然への愛なのか。

人間の最後に残るのはやはり愛なのかな。

5分ほどで読める短編。

やはり古典は好きだ。


今日はハロウィンナイト🎃
お菓子をドアにかけておく。

小さな子供の歓声が今から聞こえるようだ。
若い命っていいな





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水妖記(ウンディーネ)

メルヒェンとは決して子どもの読み物ではない。

今回読んだ『水妖記(ウンディーネ)』(フリードリヒ・フケー著、柴田治三郎訳、岩波文庫、1982)。

この作品はフケー(1777-1843)1811年の作品だが、現代でも愛されている。

ウンディーネは水の精であり、人間の姿をしているが魂の持たない隔世のニンフ。

自然そのものであり、その愛らしい姿とその魅力から誰からも愛される。

漁師夫婦に育てられていたある日、深い森に迷った騎士と出会う。

水の精ウンディーネは人を愛することで魂が宿り始める。

ウンディーネは魂(かたち)が近づいてくるだけで、いても立ってもいられぬような

心配や悲しみが影のように覆いかぶさってくると感じる。

まるで私たちが、生を受けて純粋無垢な時代から

この世の煩わしさに縛られ始める様のようだ。魂とはそういう物なんだろうか?

しかしウンディーネはどんなにみじめであっても、

魂のない物より魂のある女であるほうが幸せという。

フケー作品を戯曲にしたフランス人ジャン・ジロドゥーの『オンディーヌ』では、

水の精であるオンディーヌは水界の掟を破ったことから、

地上で結ばれた自分の夫の命を奪わなければならなかった。

そんなオンディーヌに水界の王はせめてもの思いやりで

彼女の地上での記憶をすべて消してしまう。

記憶のない彼女は、横たわる騎士の夫を見て、

「ここにいる素敵な人は誰なんでしょう。

私はこの人に心が奪われる。行き返らせられないのか?」とつぶやく。

魂とは何かという問いは自分とは何かにつながってくる。

何度記憶をなくそうが同じものを好きになり、同じものを排除する。

それは何がそうさせるのか。自分も自覚できない何か。

そう突き詰めると「自分とは、いったい何者か?」という問いにたどり着く。

ジロドゥーの水の精は最後に最愛の者との別れの寂しさや空しさの記憶をなくした。

フケーの『水妖記』の主人公ウンディーネの最後は、魂を持っているが故に水の精に戻っても

最愛の人との別れの切なさに湧き出る泉となり、土葬の土饅頭の周りを取り囲んだ。

ちょうど「いつまでも両の腕に恋人をやさしく抱きしめている」(『水妖記』p151)ように。

200年たっても人間なんてちっとも変わらない。

だからこそ古典を読んでも心に響く。

フケーがこの作品を書くために参考にしたのが

16世紀スイスの錬金術士・医学者たるパラツェルズスParacelsusの

地水風火の精に関する古文献。(解説P154)

ドイツロマン派の作品は奥が深い。

F.ヴェデキント

香港はなぜだか気温が低くて27度あたり。

大阪の方が暑いの??どうなっているんでしょうか?

読む本が少なくなって本箱を探す。

F.ヴェデキント『地霊・パンドラの箱』こんなの買ってたんだ。

パンドラの箱

ドイツ文学の19世紀の作品が好きでそのあたりのを

買ってたのをすっかり忘れていた。

最初の頁で衝撃だな。

「自然はおれという男をきめの粗い材料でこしらえてしまったので

 おれは欲望によってこの地上にひきつけられてしまう

 地上は禍つ神のすむところで

 善なる霊はいない 神々が地上のわれわれにむかって

 天から送ってくれるもの それはすべての人の共通財にすぎない

 神々の光はわれわれの心を喜ばせはするが

 われわれに富を与えてはくれない

 神々の国では所有というものは得られないのだ

 宝石や すべての人の尊ぶ黄金は

 日の届かぬ地下の闇に不気味に住んでいる

 恐ろしい力をもつ悪鬼の手からもぎとってこなければならない

 犠牲を払わなければこうした異形のものたちの歓心は買えない

 そしてやつらに奉仕しながらそれでも

 無垢の魂をもったままでいられたものは一人もいない」(岩波文庫)


 神々の国では所有は認められない。そうだよね・・・・

 地上のすべての人が求める富は日の届かぬ地下の闇に不気味に住んでいる

 それを得るには無垢の魂と交換しないわけにはいかない。

 こういうことを一気に書く作家が古典には数多。

 ぱらぱらと頁をめくる

 藝術 自然

 ダライラマ タンタロス イギリスの切り裂きジャック

 しばし古典に没頭しましょうか。

 戯曲も面白い。

香港とホフマン『くるみわり人形』

香港夜景1
人生いろいろ、いろいろございます
まさかの海外駐在!!
今度は香港

私は人間の短い一生、さまざまなチャンスがあれば
いろいろ経験すればいいと常々思っているので、
何の躊躇もなく帯同。

メロンボールも溢れそうになっているので、
ブログは今回で一時お休みします(宣言)

3月頃には香港からメロンボール
生活のあれこれそして人々や町のようすを
盛り付けたいなんて思っています。
文学はどうなっちゃうんだろう

                           

ということで今日はクリスマスストーリー第二弾

ホフマンの『くるみわり人形』をあふれそうなメロンボールに盛りつけます。 

『くるみわり人形』もよく知ってる方が多いはず。
クリスマス・イヴの夜に始まる、七つになったマリーとくるみわり人形のお話。

白いあごひげとほほ笑んだ真っ赤な口元のこの人形は
マリーにとって優しさと思いやりを感じられるヒーローとなります。

マリーだけが知る不思議のにんぎょうの国
七つの頭をもつ怪物ねずみ。
くるみわり人形の国での戦いは、領土と王冠をかけた戦い。

世界中の小さな子供たちは、ドキドキし手に汗握って
このお話を読んだり、聞いたりしたことでしょう

現実と非現実の入れ子構造はホフマンの得意です。

素直な心の持ち主だけが見れる本当の現実。
これが大事なんですよね。素直な心
  
                           
  

ところで私が追及したいのも、ホフマンのように
目に見えないところに存在する真実。

目に見えるものだけが本当ではないんです。
だから見えないものを見るちからが大切。
そう想像力ってとっても大切。想像力はロマン主義の命なんです

                     

さてさて15年前は三人の子供を抱え韓国で暮らしましたが
今回は香港で卒論という大きな宿題を抱え、
またまたマイペースでくらすことになります。


タイトル変えれたら「文学のメロンボール in 香港」??
それにしても今までつまらない記事を読んでいただいてありがとうございます。

                       多謝!


そうか~来年から香港か~
広東語って北京語と違ってちょっとおおざっぱな感じがするな~
ほらほらジャッキーチェンの映画の感じ。
ンから始まる発音ってやはり南方系だよね。
でも私って断然南方系だから
すぐ覚えそうで、すぐなじみそうで怖いな~


そんな香港から私の目で感じた現実を
足らない知識を駆使しながら本当はこうなんだよ~
と発信できたらいいと思います。
それではしばらくの間
                   再見

 
またよろしければ見てくださいね。
 
wishing you a very merry Christmas !        

ロイヤルブルーのニットとホフマン『黄金の壺』

秋空のもと、ブーツの音も高らかに、先日買ったロイヤルブルーのニットでお出かけ。
ニットブルー

後ろから肩を叩く見知らぬ女性。
「すみません。余計な御世話ですけれど、セーターが裏向きです!」
え~・・ウッソ~
お礼もそこそこに、トイレへ一目散
かなり歩きまわったよなあ~この色目立つしなあ~

次の日。朝からマグカップがない。
どこを探しても、ない、ない、ない・・・
妖精のいたずらか??最近どうなってんの?

                         

今日はE.T.A.ホフマン『黄金の壺』をメロンボールに盛りつけます。
近代のお伽話という副題のついたホフマンの名作。
ドイツロマン派のこの作品はロマン主義の人でないとなかなか手ごわいぞ

大学生アンゼルムスがみにくい老婆が売っているりんごや菓子の入ったかごへ
一直線にとびこむことから物語は始まる。
さっと逃げ出すアンゼルムスに老婆の声が響く。

「・・・悪魔の子め-いずれクリスタルのなかにとじこめられるさ-ガラスのなかへな」

緑がかった黄金色の小蛇ゼルペンティーナとの不思議な恋。
ともに赴くアトランティス。
そこでは人間が花や鳥と意志疎通できる理想郷。
現実と非現実が見事に重なる作品。

読み始めと読み終わったときの本に対するイメージががらりと変わる面白い本です。
読み始めは「不思議の国のアリス」が思い浮かびましたよ~

                          

ところでさっきのマグカップ。
探しものは何ですかと井上陽水の歌を口ずさみながら
ありえないところまで探しまわって,
ふと電子レンジに目がいく。

えーここ?

「そうそう昨日のお昼にチンしたんだ・・・」
すっかり冷えたマグカップがございました

     
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