街は葉桜になり、街路樹にはサツキが満開。
はなみずきが風にそよぎ、藤の花にチューリップ

。
色とりどりの花天国ですね。

なんとなく幸せな気分になり、お天気に誘われて、ふらふらと
出かけたくなります

。
凡人な私は「あ〜いい気もち

」なんて鼻歌を歌うのがせいぜい。
ところが、幸福について深く考える人がいるんです。
今日のメロンボールにはヘルマン・ヘッセの『幸福論』を盛りつけます。
ヘッセと言えば『車輪の下』で日本人になじみが深いですね。

彼は、反戦文章を書き、亡命作家としてドイツを離れます。
20世紀のヨーロッパの文明に批判的で、人間の内面に立ち向かいます。
『幸福論』は苦悩のヘッセが晩年に書いた随筆です。
人生を送り幸福とは何かを素朴に書いてます。
なんとなく陽だまりでまどろむような温かい文章です。
幸福を幼年時代に求め、幸福を体験するためには
時間に支配されないこと
恐怖や希望に支配されないことが重要としてます。
そしてこんな文章が書かれています。
「朝だった。私の寝床からは広い世界もそれ以上は見えなかった。・・・
そういうふうに私は、眠りの安らかな余韻と共に始まる朝を楽しみながら
寝ていた。美しい永遠であった。世界は秩序であった。この幸福が
百秒つづいたか、十分つづいたか、とにかくそれは時間の外にあった。
深く永遠であった。願望のない快さ、静けさ・・・」(『幸福論』新潮文庫、高橋健二訳)
本当の幸福の永遠は、黄金のように静寂。
そしてそれは人生の中で経験する、美しいものの増大や喜びの増加で崩れる。
たいていの人は、年とともに失ってしまう・・・。
そうですね。自然本来の人間性は、生まれた瞬間から失っていくものでしょうか

。
朝、目が覚めてまず時計を見て、オッといけない

。
今日の予定はどうだったっけ?なんて。
黄金のような静寂はあっという間に、にぎやかな音の中へ・・・
ところでNさん、今日はおいしいアンパンどうもごちそうさま。
私はそれで幸福

。
世の中には本当にやさしい人がいますね。
今日は私のためにお弁当を作ってきてくれた人がいました。
細かく刻んだ野菜のドライカレー

。ほんのり甘いので聞くと
ゆず茶のシロップを入れたとのこと。デザートも付いて、ホントにおいしかった

。
Nさんに感謝。ありがとう

。
今日のメロンボールに盛り付けるのは、残念ながら
こんないい人とは反対の人間が描かれた作品です。
ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)の『脂肪のかたまり』。
すごい題名でしょ。
モーパッサンといえば『女の一生』で有名ですが、
彼は短い生涯の中、10年間ほどしか作家活動をしていません。
長編が少なく、短編は300近く書いてます。その中の一遍。
プール・ド・シュイフとは「脂肪のかたまり」という意味で、
太っていることから娼婦に付けられたあだ名。
占領下を抜け出し同じ馬車にのる十人の六日間の旅のお話。
馬車の中で、上流階級の人間と、下層な地位の娼婦。
彼女はさげすまれるが、上流階級の人間は彼女を偽善で
大いに利用する。
利用価値がなくなるとすぐさま、冷酷に扱われる。
上流階級の俗悪な人間性を皮肉と滑稽さを交え、
徹底的に描き出す。
簡潔な文章で読みやすいのでお勧め

。
人間は俗物的な社会に生きる以上、俗物的にになってしまうのでしょうか。
芭蕉は
「物ほしや袋のうちの月と花」

といってます。
布袋様の袋の中は月と花が入っているから、それがほしいと・・・
私にはあの袋には、金銀お宝がいっぱい

入っているような
そんな気がするんですが、
ひょっとしてこれって、俗物的?
理性によって冷静に論理的に思考できるタイプ

と
想像と空想が優位に立つ感性によって羽ばたくタイプ

。
あなたはどちらでしょう?
私は断然後者です。
いつもなんかそんな気がする〜

なんて言ってます。
空想の自由を主張するのはロマン主義。
近代思想の結果です。知的な機智にとんでます。
日本でのロマン主義の代表は泉鏡花でしょうか。
日本では浪漫って書きますね。いいですね

。
今日はジャン・ジロドゥーの演劇『オンディーヌ』(1939)をメロンボールに。
人間の愚味をテーマにしたこの作品は実は、ドイツ浪漫派のフーケのメルヘン
『ウンディーネ』(1811)からとってます。
だからオンディーヌはフランス語ウンディーネはドイツ語ということになります

。
話の内容は水の精オンディーヌが人間の不誠実さに裏切られる物語です。
人間の姿で神から人間界に送られることになったオンディーヌ。
神からオンディーヌを裏切った恋の相手は死に至ると託宣を受けます。
伝統を無視し、天真らんまんな水の精オンディーヌ。
結局オンディーヌを捨てたハンスは神に命を奪われます。
神はオンディーヌの人間世界の記憶を一切抹消させ、彼女の悲しみを消します。
死んで横たわる恋の相手ハンスを見てオンディーヌはこの人が誰であるか聞き、
もし彼が生きていたらきっと好きになったのにとつぶやきます。
これはメルヘンでなので、論理的な人は何だと思うかもしれません。
でも、人間の精神とは何だろうと感じる人は
まさしくロマン主義者でしょう。
ロマン主義の定義は現実を否定し自我の確立を目指すもので
永遠の真理を求める思潮です。
でもそんなに難しく考えなくても、たまには心って何だろう

と
自分に問いかけても悪くはないもんです。
好きになるのに理由なんてないとは、よく言ったもんです。
オンディーヌの最後の言葉は切ないと思いませんか

?
記憶に残る小さいころの思い出は、人さまざま。
私は、なんだか食べ物に関したものが多いな。
たとえば、有馬温泉ではじめて飲んだサイダー・・・衝撃のおいしさだった。
不二家のケーキもとってもハイカラなお菓子。
家の前栽(せんざい:念のため説明しますと、縁側に面した庭)
の築山

でペコちゃんの真似をして、髪を結び舌をくるりと
出して写っている写真があります。
昭和の真っ只中。ちびまるこチャンのような私

でした。
そんなのほほんと育った私の前に差し出されたこの作品は衝撃的。
今日はゴーリキィ(1868-1936)の『幼年時代』をメロンボールに盛り付けます。
これはゴーリキィの自伝。同じ自伝でもトルストイの『少年時代』とは
大きな差があります。トルストイは名門貴族の出、ゴーリキィは『どん底』でも有名
ですが、下層の社会に生まれます。無知と暴力と貧困。ゴーリキイ少年
の目に映る劣悪な環境。その原因がどこからくるのか。19世紀のロシア全体
の問題として、利益を追求する階級の人々を激しく告発した作品。
でもどんどん読みすすんでいけるのは、ゴーリキイを育てた祖母への暖かいまなざし
と彼の描写力。一度はよんでほしい作品です。
ゴーリキイもトルストイも私もみんなも環境や時代が違っても同じ人間。
そう感じますね。どんなときでも人へのおもいやり忘れないで

。しんみり

あっそういえば、小さいころの思い出のものに、行水(ぎょうずい)があります。カナダライって
知ってるかな?ダライラマじゃないよ。
もっと古いこと知ってるって!失礼しました。
数年前、話し方教室に参加したことがあります。
毎回自分のショートスピーチの発表や、
自分の主張を通すディベートが授業に
あったり、なかなかスリリング

なものでした。
元アナウンサーの女性の講師の言葉が印象的。
自分のいいたいことは一分でいう・・・ なるほど

自分の食べたいものをすぐ言える・・・ えっ!

自分の食べたいものがすぐ決められないようでは、自分の人生に
かかわる大事なことを決定することなんて到底できないというものでした。
すごいですね

。
自分の考えを言う。このことから今回は
夏目漱石の『行人』をメロンボールに盛り付けます。
この小説は、有名な『こころ』へと繋がっていく作品です。
この時代は家族制度の中にあって、その結婚は、愛ではなく、
家に対する孝の観点から出発します。
自分たちを「人間の作った夫婦」と表現してます。
そんな中で妻は自分の気持ちを一切出さず無抵抗。
倫理的に生きる夫は妻の心が読み取れず、苦悩します。
次の描写は、近代精神が芽生えている女性の
忍耐と苦痛がよく表されていると思います。
「・・・彼女は眉をひそめる代わりに微笑した。泣き伏す代わりに端然と座った。
あたかもその座っている席の下からわが足の腐れるのを待つかの如くに。・・・」
(岩波文庫『行人』)
自分の思いが表に出せない。自分の存在を消して一生を送った女性たち。
そんな女性たちの犠牲の延長線上に、今の時代の何でも自由に言える
自分たちがいることを感じますね。
食べたいものをすぐ言える。それはできます

。
でも、これにしようと決めたはずなのに
注文するとき違うものを言ってる私は
人生に迷いがあるのでしょうか。
「このケーキ

にします。あっ ちょっと待ってください

。やっぱりこっち

」
先日とってもチャーミングな女性にであった。その気配り、こぼれる笑顔、フットワークのよさ。
そして知的・・・。真っ赤な口紅の彼女は61才・・・。
以前にも彼女と似た人と出会ってる。
初めて会う約束をした場所に現われた彼女をみて、私の頭の中に
オールディーズのBGM

が流れる。
軽くカールした肩にかかる髪。華奢なワンピースと肩に羽織ったカーディガン。
ぺったんこの靴はオードリーみたい。
多分彼女も今60代・・・。
彼女たちに共通するのは、人に与える活力と癒し

。どんな人生を送ったんだろう。
今回はオスカーワイルド(1854-1900)の『幸福な王子』をメロンボールに盛り付けたい。
オスカーワイルドはアイルランド人でスキャンダラスな作家。
唯一の長編といえば『ドリアングレイの肖像』。これも好きな作品です。
『幸福な王子』

は誰もが一度は読んだ童話です。快楽な幸福しか知らなかった王子が銅像になってから人の悲惨な生活や町の醜悪を見る。ツバメに自分の剣のさやのルビー

や目のサファイア、体に張られた純金を貧しい人に与えるというお話。人にいいことをした王子は、「僕はとても暖かい気持ちがする」という。
自己犠牲の上に立つ達成感は、またまた越冬の時期を逃したツバメの犠牲の上に成立する。
なかなか奥深い童話なんです。
男性でも女性でも人がチャーミングに生きること、それは本当に難しい。
オードリーヘップバーンが好きというので有名になったサム・レヴェンソンの詩があります。
そこから一部抜粋。
魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。
愛らしい瞳のためには、人々の中に素晴らしさを見つけること。
スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと。・・・
バランスのためには、決して一人で歩むことがないと知ること。・・・
なるほど、なるほど。その通り。もっとこの詩を早く知っていたらなあ・・・
さくら

が満開ですね。
この時期はホントにきれいで、日本人でよかった〜なんて思ったり
するんですね。でもどうして日本人はさくらが好きなんでしょうか。
私も考えて見ました。
日本って、スケールが大きいという形容詞の景色がなかなかないですね。
でもさくら

はどうでしょう。
日本の端から端まで、あの淡い色のベールで日本中を覆い隠してくれる。
大きく広げた枝ぶりは視線を上に

上に

誘います。
さくらを見るときれいな色とそのスケールに感嘆の声をあげ、なんだか気持ちまで大きくなります。
この豊かな気持ちが日本人をひきつけるのではないでしょうか。
これ私の考え

。どうでしょうか。
ところで、さくらといえばロシア文学チェーホフの『桜の園』。
有名な彼の四大戯曲の一つです。
明治30年ごろ日本では多くの作家がロシア文学から影響を受けます。
たとえば国木田独歩がツルゲーネフから影響を受け『武蔵野』を書き、
徳富蘆花はトルストイに傾倒します。
チェ-ホフの『桜の園』は没落貴族が、元農奴の息子である商人に桜の園を買い取られる話。
時代の変化に気づかず、古い誇りだけに頼る貴族の悲哀が描かれてます。
でも、活気に満ちた新しい秩序の側から見れば、この作品は喜劇とさえ受け取ることもできるんです。
貴族の富の象徴としたのが桜

。
チェーホフは、桜の美しさとスケールの大きさに
富の豊かさを感じたのでしょうか。
『桜の園』は古い秩序が新しい秩序への移行の過程での人々の葛藤が描かれています。
時代は立ち止まることなく今も動いてます。毎日毎日ね。
人々の葛藤。。私たちのことでしょうか。
とにかく今年のさくら

も見逃さないように見に行きましょう。
| HOME |