銀座コロンバンのメロンボールはなんと「ムロン」と言います。
デパ地下で足を止めてしまいました。

ムロンはフランス語でメロンのことだそうなので、そんなに驚くことはないけど、
一瞬「無論」って漢字が頭をよぎったよ。
ねっ、ねっ、やっぱりメロンボールは
果物の宝石箱や〜

でしょ!
今日はアメリカ20世紀の小説家
トルーマン・カポーティの『ミリアム』を
メロンボールに盛りつけます。
彼の名前を知らなくても『ティファニーで昼食を』はご存じのはず。
ムーンリバー

ラ〜ララララ

失礼いたしました

彼はゴシップにまみれた後年でしたが、幼いころは孤児のような悲しい生活を送ります。
そのせいでしょうか、人の心の闇や孤独、自分という存在の不安定さを描きだします。
この『ミリアム』は自分を見失いそして自立していく女性を描いています。
作品全体に『ティファニーで朝食を』と同じように都会的な雰囲気が漂っていますね

。
自分と同じ名前の謎の少女ミリアムは、宝石箱から別れた夫の贈り物である
カメオのブローチをもっていってしまう。
彼の作品の中に出てくるj宝石は、切ないものの象徴かも知れない

。
「彼女はレキシントン街を走るバスに乗り、北に向かい八十六丁目までいった。
・・・・何が欲しいのか、何が必要なのか、
考えはなかったが、彼女は、通りをぶらぶら歩いていった。
元気よく、傍目もふらずに歩いている通行人たちだけを眺めた。
彼らを見ていると、彼女は、自分がひとりぼっちになったようで
心が落ち着かなかった。」(新潮社)

自分に自信のないとき、自分を見失いそうになったとき、
大勢の人の中での孤独を感じることは容易に理解できますね

。
この小説では主人公が最後に自分が頼りにし、信じることができる人間は誰なのか?
その答えをはっきりと自覚します。
やっぱりたどり着くところは人間「自立」「自律」です。
そろそろ私も・・・・
ムロンを食べてよーく考えます。
冷たくしていただきます〜
ありました


以前ブログにも書いた思い出のサイダー。
復刻版かな〜
この暑さ、あまりの暑さにダウンしている人も多いんでは・・・
冷たいものの飲みすぎはいけないけど、どうしてもね。
喉をうるおします。うぅっ

こんなの飲んでるから夏太りするんでしょうね〜

今日はちょっと冷っとしようと
泉鏡花『外科室』をメロンボールに盛りつけます。
神秘的作品で知られる、泉鏡花は『高野聖』で有名ですね。
唯美的で、美しい人生の幻影を描きます。
『外科室』は明治28年の作品。耽美的、ヒューマニズムあふれる作品ですが、
ちと恐ろしいです。
親族にはそうそうたる位の人たちがいる伯爵夫人。
ひそかに心に思うのが高峰外科科長。
親族が見守る中、胸の切開手術をすることになりますが、
夫人は麻酔を一切拒否するんですね。
麻酔をして夢うつつの状態で、ひょっとして
自分の本心をうわごとでいうようなことが
ないかと不安におびえていたのです。
そんな不安よりは激痛の方を選ぶというわけです

激痛って言ったってね、限度があります

麻酔なしの大手術が施されます

。
美しい伯爵夫人が純潔なる白衣を着て手術台に横たわる様子、
手術が始まる緊張感

。
鏡花の冴えわたる筆は、凛とした外科室の冷たい空気と
外科医と伯爵夫人の熱い思いを描きだします。
いたそう〜
地位や社会的階級が存在しなければ、結ばれたであろう二人を
幻想的に描き出します。

まぁ。それにしても麻酔をかけなくてもうわごとを言ってる私は
麻酔をかけても一緒かも・・・
この暑さでうわごとも上昇中です

。
この間の梅が梅干しになりました。

少し手間がかかるけれど、毎年途切れさせるのがなんとなくできないのです。
こうしてあと10年20年たつとプロになるんですね〜うっとり

昔から続いている文化はやはり変化させながらも引き継いでいく義務がありますね。
こんな時代だからこそ「温故知新」が大切です。
昔に新しさをみる、昔に様々なヒントを得る。
びっくりすることが山ほどあります。
だから、私にとって、日本や世界の古典って宝の山なんでございます

今日は
徳冨蘆花の『自然と人生』の中の「灰ジン」をメロンボールに盛りつけます。
蘆花は徳冨の点のない冨にこだわっていたそうです。
だから「徳富」じゃなくて「徳冨」。
『自然と人生』は、四季の移り変わりを描いた小さな作品が並びます。
トルストイに傾倒し、ワーズワースの自然観

やヒューマニズムに影響を受けた彼は
作品の冒頭にワーズワースの言葉を載せています。
木や雲、朝

や夜

、雪などの自然の中に人間も入っています。
賢兄「徳富蘇峰」への反抗の思いも込められたこの作品は、
スリルとサスペンスとスピードのある、手に汗

握る作品です。
短編をようやくするとチョー短編

になってしまいますが次のような内容です。

馬鹿な長男と冷酷な二男、猛
そして好人物三男の茂という息子たちがいる名家。
西郷戦争を背景に、戦争から命からがら帰ってきた茂。
家督と茂の恋人まで奪おうとする猛が、
家の名誉を口実に、邪魔な茂に自害を迫る。
猛に反対できない母までが自害を迫る。
「おっかさん、あなたも」という茂の言葉が忘れられず、
母は自責の念から気が狂ってしまう。
ここの描写がこわいな〜
気が狂った母が火

を出してしまう。
茂の恋人も自害し、名家は何も残すことなく灰になってしまう。
人間の見栄と欲によって、人間の営みがいとも簡単に崩れ去っていく。
社会的制裁をはねのけようとする蘆花の迫力が伝わってきます。

自然の中の人間、社会的堕落の人間。
だから、いつの時代も人間って何だろうという「人間の存在」という課題が
生まれてくるのですね。
人間には楽しみ

もいるし、お金

も必要ですね。
でも境界線をこえるかどうかが幸せと不幸の境目になっているような気がします。
見栄と欲はほどほどにね。強欲はもってのほかです

ハイ
好きな食べ物はと聞かれたら果物

とチョコレートと答える。
いつも家の中にチョコレートはある。
ほら。これも


プーランのチョコレートは1848年にフランスでデビューしました。
1848年といえば二月革命の年。
ブルジョワ社会全盛。このころからフランスは経済的発展の時代に入ります。
鉄道網が引かれ、銀行が設立され、有名デパートが立ち並びます。
エッフェル塔

が鉄文明の象徴とされます。
街は華やかな消費社会へと、突き進みます

。
見てきたみたいに興奮しますね〜
でも19世紀の前半のパリは、整備がされず、道路の中央に下水が流れ、不潔で
失業者も多く、コレラの大流行にも合います。

今日は19世紀前半が舞台の
バルザックの『ゴリオ爺さん』をメロンボールに盛りつけます。
この小説は1830年の7月革命で上層ブルジョワジーが頂点にたったすぐ後に書かれました。
舞台は1819年のパリ。
地方の貧しい法学生ラスティニャックはパリで成功を狙う若者。
野望の渦巻く社会機構のからくりが分かるにつれ、
嫌悪感を抱きつつ、彼は次第に変化していきます。
とにかくバルザックのリアリズムはすごい

さすが

カメラ

でグリーと見渡して、ズームインという感じで、
社会の現実を忠実に描いていきます。
家屋敷の開き窓や階段の着色タイル、コーヒーセットの金の網目模様の半ば消えかかった様子、
ソファーの柄や着ている服まで手に取れるよう

それに匂いや色合いまで伝わってきます。
バルザックは自然を表現するのに
ひとりの人間を描くのでは不十分で、ひとつのシステムでなければならないとしています。
確かに人間は一人では決して生きていませんね

ところで19世紀にたてられたデパートには、
オ・プランタン

や
サマリテーヌ
、ギャラリーラファイエットなど
きっと当時の人々は驚いたでしょうね。
社会が華やかな楽天的な気分になったのはたやすく想像できます。
でもそのサマリテーヌが建物の老朽化で2005年から閉鎖されているらしいです。
華やかな時代を経て、変化していくのはなんだかさみしい〜

2011年にリニューアルするらしいけれど・・・
他のデパートも私がパリに行くまで潰れないでね。
待っててね

。